日記のようなもの 8/6 防国と、平和と
こんにちは。
明日過ぎれば夏休みにもかかわらずまったく実感のない白羽さんです。
ということで、今日の話題。
8月6日。
世界で初めて核兵器を使用したのが75年前の今日です。
というわけで、今日はそんな広島から始まる平和についてのお話。
白羽さんこと私は、根っからの広島県民です。
広島県では、小学校などで8月6日になると必ずと言っていいほど平和学習があります。
黙とうをして、場所によっては話を聞いて、場所によっては映画を見て。
苦い思いをしながら、戦争が悪であると脳裏に焼き付かせるような教育を受けます。
けれど、不思議ですよね。
学習が中学校に入るにつれて減っていき、気が付けば8月6日がなんの日だったか忘れつつあるようになるんです。
要するに、意識の低下。
浸透率は、せいぜいその程度なんだと思うと、いささかがっかりしますね。
核兵器。
私の主観ですが、こいつは悪そのものです。
ただ、だからといってその他の武力の保持もおかしいかと言われればNOです。
防衛力は必要です。
核兵器が使われることによって何が起こるのかを、人類は経験してます。だからこそ、安易に保持、使用するべきではない。広島はそれを訴えています。
広島という街を、そのままの形で残しておいて。
被爆談などはそろそろ潰えます。年齢には勝てません。
だからせめて広島は、今ある街に残る爪痕を大切にしないといけないのでしょう。
真の意味での平和は絶対に訪れない。
だから私たちは、いかに悲しむ人が少なくなる世界を作るかを問われています。
誰かを悲しませても、傷つけても、私たちは進まなければならない。
だから、進む際に傷つけた人や物のことを忘れてはいけないのです。
同じ間違いをしないために。
そうやって、人類史はここまでのし上がってきたんです。様々な失敗をすべて踏み台にして。
誰かを傷つけることを厭わない世界。悲しいですが、それが真実です。
積みあがった犠牲に私たちは感謝しなければならないでしょう。
そして、屍でできた道を歩むんです。
未来のために。
というところで、今日はこの辺で。
最低限軍事力は日本に必要。